受験勉強していないのに受かった人へ

受験勉強していないのに受かった人へ

「受験勉強していないのに合格した。」という人は結構多いと思います。私は塾講師ですので、もちろん生徒には勉強させていますが、塾に来なかったら全然勉強しないだろうな、という生徒はポツポツいます。先日も志望校に合格した生徒が挨拶にやって来ましたが、彼は自分で赤本を進められず、塾に来させてなんとかやらせていました。そんな彼に、最後に言った話を紹介したいと思います。

受験で何かを感じたか

まず彼に言ったのは、「勉強しなくても合格できたかもしれない。」ということです。彼は志望校を少し下げて受験したので、それは本心でした。しかしその後すぐ、「でも、勉強しなければ、合格してもうれしくないかもしれない。」とも彼に言いました。受験が終わった学生は、合格して喜んだり、不合格で落ち込んだりしますが、おそらくそれは、それなりに受験勉強を頑張った人でしょう。ほとんど受験勉強をしなかった人であれば、合格しても嬉しさを強く感じることはないと思いますし、不合格でも当然の結果だと受け入れるはずです。しかし、そんな淡白な受験は、何か寂しくないでしょうか。結果が合格であれ、不合格であれどちらでもいいのです(もちろん進路にとっては重要です)が、私はそれよりも、受験を通して何かを感じることができたか、何か自分の中に残るものがあったかが大切だと思います。

人生の通過点で残るもの

受験は人生の通過点のひとつと言えます。学生にとっては、それまでの人生の中で最も大きな通過点かもしれません。そういった通過点は、人によっては大きなターニングポイントになりえます。しかし、全く勉強をしてこなかった人にとっては、受験は何の変哲もない日常の一部になるかもしれません。私は、こういった通過点で努力し、何か得るものがある方が、絶対にその人にとってプラスであると思います。たとえ受験で不合格だったとしても、悔しさであったり後悔であったり、努力した結果の何かを感じることができるはずです。そして、それがその後の人生に何か影響を与えるはずです。人生の通過点で努力し、自分の中に残るものがある方が、きっとその人の人生を豊かにしてくれると思います。私は、受験結果がその人の人生を大きく左右することはないと思います。しかし、受験によってその人の中に残るものは、その人の人生を大きく変える可能性があるのではないでしょうか。

勉強したくない気持ちはわかる

私も勉強が好きではないので、勉強したくない気持ちはわかります。面倒くさいし、友達と遊んだり、ゲームをしたいし、テストの点が少し上がったところでどうでもいいし、親から言われると余計にやりたくなくなる。勉強が魅力的には見えないことは理解できます。そこで大人たちは、「いやいや将来を見据えて勉強するんだ。」と言うわけですが、将来なんて、子どもにはリアルに考えることができないでしょう。勉強なんて無理してやるものではないと考えるのも至極当然です。ただ、そういう考えの人に言いたいのは、勉強してプラスになることはあれど、マイナスになることはないはずです。勉強以上に自分にプラスになることがあればそちらを優先すればいいですが、そうでないのであれば、勉強をがんばることも悪くないのではないでしょうか。

努力して結果を求めること

勉強以上に自分にプラスになることと述べましたが、それほど大層なものでなくてもいいと思います。スポーツや仕事、趣味の延長線上でも、何かを努力して結果を求める。これはその人の成長に大きく関わり、その人の中に、間違いなく”残るもの”になるはずです。そういうものがなければ、受験や就活といった、誰もが通る通過点で、頑張ってみてはどうでしょうか。「あの時もっと勉強しておけばよかった・・・」という大人をしばしば見かけますが、そういった人は、当時努力せずに、受験という通過点をあっさりと通ってしまった人なのではないでしょうか。私の勝手な考えにすぎませんが。とにかく、人生の中で自分にとって大きな意味を持つであろう時、そこで努力して結果を求めることで、人生にとって重要なモノが得られるのではないでしょうか。